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東京地方裁判所 平成元年(ワ)8354号 判決

原告

有限会社大野商事

被告

成家昌弘

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告は、原告に対し、五五五八万円及びこれに対する昭和六一年九月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告に対し、四〇〇万円及びこれに対する平成元年七月一五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行宣言

第二本件事故及び争点

一  本件事故

昭和六一年二月一五日午前九時五五分ころ、青森市大字滝沢字東滝沢山国有林みちのく有料道路一四キロメートルポスト先路上において、被告が運転し、その保有する普通乗用自動車(青三三さ二六四六)と、訴外中山富男の運転する普通乗用自動車(青五五み二四二三)とが衝突し、同車に同乗していた訴外山本譲二(以下「訴外山本」という。)が負傷した。

二  争点

1  原告

原告は、本件事故の被害者である訴外山本が専属アーテイストとして所属する音楽プロダクシヨンたる有限会社であり、被告の訴外山本の身体に対する侵害によつて原告に発生した損害、すなわちち訴外山本が本件事故により傷害を被つたため本件事故当時すでに予定されていた訴外山本を出演者とする公演取りやめによつて失われた出演料収入相当額を損害として請求するものであるが、この損害がいわゆる企業損害であつたとしても相当因果関係の範囲内に属するものとして認められるべき損害であり、仮に企業損害としての賠償が認められなくても、原被告間において成立した損害填補の合意(損害填補契約の成立)により本訴請求金額が原告に対して支払われるべき旨主張する。

2  被告

原告のいわゆる企業損害の主張及び損害補填契約の合意の主張はいずれも争う。

三  争点に対する判断

1  原告は、訴外山本の公演取りやめによつて失われた出演料収入相当額を、いわゆる企業損害として請求する旨主張するところ、成立に争いのない甲第九号証の九、甲第一〇号証の一、二、乙第五号証の一、二、乙第六号証の一、二、証人大野佶延の証言により成立の認められる甲第一四号証の二、甲第二三号証、甲第一四号証の一、二、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二号証、甲第三号証、甲第一五号証の三、四、甲第一七号証、証人大野佶延の証言、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和四七年一〇月九日設立され、設立当初は訴外北島三郎(以下「訴外北島」という。)が専属していた訴外株式会社新栄プロダクシヨンから訴外北島に支払われる興業収入及びラジオ・テレビ出演料の歩合等を売上収入として計上して運営されていたが、昭和五〇年一月一日、訴外北島が株式会社新栄プロダクシヨンより独立したのに伴い、通称「北島音楽事務所」として訴外北島の興業収入及びラジオ・テレビ出演料等、その他のタレント活動によるすべての収入を原告の売上収入として計上して実質的な活動を開始するに至つた。

その後、原告は、随時、訴外山本、訴外松原のぶえ、訴外原田悠里、訴外大橋純子らと専属出演契約を締結した。

このように、原告は、現在は主として数人の契約歌手の興業収入により利益を上げているが、従業員としては約三〇人を擁する。

(二) 訴外山本は、昭和二五年二月一日山口県下関市で出生し、昭和四三年三月に下関市立早靹高等学校を卒業と同時に上京し、新宿の盛り場で弾き語りなどをして、昭和四九年に芸名「伊達春樹」でビクターレコードから「夜霧のあなた」でデビユーし、昭和五一年にYTV全日本歌謡選手権で一〇週勝ち抜き四三代チヤンピオンとなり、その頃より訴外北島の前唄をつとめていたが、昭和五三年三月一日にキヤニオンレコードから本名の「山本譲二」で「北ものがたり」で再デビユーし、その頃、原告は、訴外山本との間で専属出演契約を締結した。

そして、昭和五五年、訴外山本の「みちのくひとり旅」が大ヒツトし、紅白歌合戦に六回出場し、大々的な人気を博す演歌歌手としての地位を確立した。

(三) 原告の営業活動において、訴外山本の演歌歌手としての活動を中心とするタレント活動の収入が原告の全収入中において大きな割合を占めているが、訴外山本が本件事故により傷害を負つたため、本件事故当時すでに予定されていた訴外山本を出演者とする茨城県境町の公演に、顔を出したものの挨拶をした程度に止まり、出演できず、急遽訴外松原のぶえが代演した。

訴外山本は、本件事故による傷害のため、昭和六一年二月一五日青森県立中央病院で左肩打撲の傷病名で治療を受け、同日から同年九月二二日までの間東京女子医科大学病院で左腕神経叢不全麻痺及び頚椎捻挫などの傷病名で通院して治療を受け(通院実日数六日)、その間タレント活動に支障を生じていたが、原告の専務取締役である訴外大野佶延(以下「訴外大野」という。)は、同病院で約六週間の局所安静及び加療を要する見込みである旨診断されていたことなどから、原告の訴外山本が新宿コマ公演に出演すると、訴外山本の体に相当無理がかかると判断し、訴外山本の健康状態が悪化して歌手生命を失うなどといつた致命的な打撃を被るのを避けるため、訴外山本のスケジユールを調整して予定公演の出演を取り消した。

訴外山本は、原告から昭和六一年一月分は一一二万四九九九円、同年二月分からは一七五万円の定額の給料が支払われていたため収入の減少はなかつたが、訴外山本のタレント活動の支障などにより取り消した公演分については、原告は、その興業収入を失つた。

以上の事実が認められる。

2  ところで、不法行為によつて被害者の生命・身体が害された場合に、その直接の被害者と一定の社会的、経済的、法的関係にある第三者に被害や損害が波及することが少なくない。例えば、直接の被害者が経営したり就労する会社に損害をもたらす場合のあることが認められる。これは、いわゆる「企業損害」の問題であるが、こうした間接的に被害を受けた者すべてに際限なく当然のように損害賠償を認めることは許容できない。

すなわち、人身事故において、もつとも重視されるべきことは直接の被害者の保護であり、損害賠償法の目的とするところも侵害された生命・身体の価値の回復が中心であり、いわゆる「企業損害」の賠償を安易に肯定することは、取引関係が複雑に連続しあつている現代社会において賠償範囲の拡大をもたらす虞れがあり、偶発的な交通事故の加害者に余りにも大きな負担を課すことになり、一般人の社会的行動についての予測可能性や計算可能性を破壊する。また、企業の従業員等の死傷に伴う業務上の損害など営業上のリスクは、予め企業計算の中に含めて考えることも可能である。元来、収益のため人を使用する企業は、従業員から提供された労務を受領し、従業員に対し、これに相応する賃金、報酬等を支払うことに尽きるから、従業員が交通事故によつて労務の提供ができなくなつたとしても、これによつて企業の被る損害は、提供されなかつた右労務に相応する右賃金、報酬等と同程度に限られるものであり、当該従業員を企業活動に利用して利益を追及できなかつたとしても、その利益を企業の負担としても、それほど酷な取り扱いではない。また、生命・身体の侵害による賠償額を基準化・定額化する方向で考えるならば、いわゆる「企業損害」などの間接被害者の損害は一律に賠償範囲外にする方がよいとも考えられるところである。

したがつて、ある人に対して加えられた不法行為の結果、その人以外の第三者に損害を生じた場合でも、不法行為者の損害賠償義務は、直接に加害された者に生じた損害に対してあるに止まり、第三者に生じた損害についてまでは及ばないものとするのが不法行為の原則とするのが妥当である。

原告主張のいわゆる「相当因果関係の法理」も、被害者として損害賠償請求の主体であることを認められた者が、発生した損害のうち賠償請求をなし得る範囲を画定することに本来の目的があるのであるから、この法理をもつて、直ちに第三者に生じた損害について不法行為の賠償責任を肯定することは疑問があり、損害賠償の請求主体は、基本的には直接被害者であるものと考える。

しかし、原則は右のとおりであるとしても、第三者が法人とは名ばかりの、いわゆる個人会社であり、直接の被害者以外には当該会社の機関としての代替性がなく、直接の被害者と会社とが経済的に一体をなすなどの関係にあるような、きわめて小規模な個人会社で、被害者と会社と財布が一つと言えるような場合には、この会社に生じた損害の賠償請求を定型的な例外として容認しなければ、右のような個人会社及びこれを構成する個人の現実の社会的・経済的実態に適合しないから、間接的に損害を被つた会社が右のような個人会社である場合には、その構成員に対する不法行為がなかつたならば得られたであろう会社の逸失利益等の損害について、損害賠償の請求を肯定すべきである。

本件において、これをみるに、訴外山本は、原告と専属出演契約を締結して、原告が訴外北島、訴外松原のぶえらを興業主に売却し、その売上収入を得る興業に参加し、月々定額の収入を原告から得ていたものであり、右定額の収入を越えた訴外山本の売上収入は原告の利益となつていたことが認められ、訴外山本と原告とは、右専属出演契約上の当事者たる関係に止まり、いまだ経済的に一体をなすなどの関係にあるものとは認められないので、原告の前記主張は採用しない。

3  さらに、原告は、原被告間において損害填補の合意が次のようになされている旨主張する。

(一) 昭和六一年二月二四日、訴外東京海上火災保険株式会社(以下「訴外東京海上」という。)の従業員である訴外杉本謙介(以下「訴外杉本」という。)は、本件事故に伴う損害処理についての被告の代理人として原告の事務所を訪れ、訴外大野と話をした際、訴外大野から訴外山本が六週間の安静を要すると診断されていること、茨城県境町の公演に訴外松原のぶえを代演させざるを得なかつたので、原告に訴外山本及び訴外松原のぶえの各公演料並びに本来であれば興業主が負担すべき諸経費相当額の損害が生じたこと、その後の訴外山本の二月中の予定をすべてキヤンセルしたこと、また、三月一日が初日の新宿コマ公演に訴外山本が出演できない場合には公演そのものが成り立たなくなり計り知れない損害が生じるおそれがあり、仮に訴外山本が出演するとしても訴外山本の体に相当無理がかかる以上、その健康状態が悪化して歌手生命を失うなどといつた致命的な打撃を被るのを避けるため四月、五月の訴外山本のスケジユールを調整する必要があり、また、六月にも大阪コマ劇場で新宿コマ劇場と同様の公演があるので、七月以降もスケジユールを調整する必要があることなどを説明し、そして、スケジユールを調整した場合にはキヤンセルした公演分につき訴外山本の出演料相当額の損害が発生するが、訴外山本には原告から固定給が支払われているので右損害は原告の損害となることを説明した。

これを聞いた訴外杉本は、まず茨城県境町の公演に関する原告の損害については、原告が具体的金額を示せば訴外東京海上が保険により損害金を支払う旨約したうえ、訴外山本のスケジユール調整によつて、原告に生ずる損害を最小限にとどめ、ひいては訴外東京海上の填補賠償金額を最小限にするには訴外大野のスケジユール調整に委ねるのが最善であることを理解し、スケジユール調整に伴つて生じる損害については被告が填補することを全面的に了承したが、茨城県境町公演に関する具体的損害額及び今後のスケジユール調整の時期、程度等の具体的な中身にまで話は進まず、今後の予想される損害填補処理について被告が責任を填補するといういわば枠組みについて合意するに止まつた。

(二) 昭和六一年二月二七日ころ、訴外大野は、訴外山本のスケジユール調整が現実のものとなつたことから、その処理について具体的に合意する必要が生じたので、訴外杉本を原告の事務所に招き、訴外山本の具体的なスケジユール調整について説明した。すなわち、訴外大野は、訴外杉本に対し、三月中の新宿コマ劇場に訴外山本を出演させることを決め、六月も大阪コマ劇場に出演させざるを得ないので、両公演の間の四月、五月及び七月、八月、九月には訴外山本の身体に最も負担がかかる地方公演等を出来るだけキヤンセルするが、原告には公演取り止め一回につき二五〇万円の公演料相当額の損害が生じることになると述べた。

訴外杉本は、右のような説明を受け、訴外山本、原告及び損害填補すべき被告ないし訴外東京海上のためにもスケジユールをぜひとも調整する必要があること、それに伴つて原告に現実に損害を生じることを十分に理解し、その上で原告に生じる訴外山本の公演料相当額の損害をすべて填補することを了承し、訴外大野に対し、早急にスケジユール調整に取り掛かることを依頼した。

よつて、ここに少なくとも右スケジユール調整の対象となつた訴外山本の公演取消しの分について一回当たり二五〇万円の公演料相当額の損害を被告において填補する旨の合意が原被告間に成立した。

(三) 昭和六一年三月七日、原告側は訴外大野及び訴外井上章夫弁護士(以下「訴外井上」という。)、被告側は訴外杉本及び訴外神岡信行弁護士(以下「訴外神岡」という。)の四者が、喫茶店において約五〇分間面談した際に、訴外大野は、すでに昭和六一年二月二七日ころ、訴外杉本との間で原告の損害填補について合意していたので、右合意を当然の前提としつつ、訴外杉本と訴外神岡に対し、すでに四月分及び五月分の大部分のスケジユール調整を終え、現在は七月分、八月分、九月分を調整中であることを伝えた。これに対し、訴外杉本及び訴外神岡は何らの異議も述べず、少なくとも黙示的に同意した。

こうして、今後は訴外井上と訴外神岡との間で調整に伴う原告の損害の具体的金額の確定や裏付け資料のやり取りを行うことを決めて終了したが、訴外大野は、右合意にもとづき訴外山本のスケジユールを調整し、その結果、合計二一回の公演が取り止められた。

以上のとおり主張する。

ところで、甲第一四号証の二、成立に争いのない甲第七号証、甲第一二号証の一ないし三、甲第一三号証、甲第一六号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二六号証、証人杉本謙介の証言により成立の認められる乙第三号証、証人大野佶延、証人井上章夫及び証人杉本謙介の各証言によれば、昭和六一年二月二四日、訴外杉本が本件事故に伴う損害処理について被告加入の保険会社である訴外東京海上の担当者として原告の事務所を訪れ、訴外大野と訴外山本の本件事故に係る損害賠償処理について話し合いをし、訴外大野から訴外杉本に対し、原告主張のごとき説明をしたことが認められるが、訴外杉本は、この説明を聞いて、弁護士に委ねるべき事件と判断し、本件事故処理を担当弁護士である訴外神岡に本件事故処理を引き継いだことが認められるものの、被告が訴外山本のスケジユール調整によつて原告に生じる出演料相当額を損害填補するといういわば枠組みについて合意したと認めるに足りる証拠はない。また、昭和六一年二月二七日ころ、訴外杉本が訴外大野に対し、訴外山本のスケジユール調整の対象となつた公演取消し分について一回当たり二五〇万円の公演料相当額の損害を被告において填補する旨の合意が原被告間に成立したと認めるに足る証拠はない。さらに、昭和六一年三月一日ころ、訴外神岡から訴外井上に対し、被告代理人に就任し、今後本件事故による全ての交渉について担当する旨の同日付けの手紙が送付され、三月七日、訴外大野及び訴外井上と訴外杉本及び訴外神岡とが喫茶店で面談し、訴外山本の損害処理につき話し合いをした際、訴外大野から訴外山本のスケジユール調整により原告が興業収入を失う旨の説明がなされたことが認められるが、訴外杉本及び訴外神岡が右原告の損害を填補することを約したことを認めるに足りる証拠はない。訴外神岡から訴外井上に対し、昭和六一年九月三日付書面が送付され、その中で、茨城県境町の公演に関する損害については領収書の裏付けがあれば支払う予定であり、将来の公演料の損害については現段階においては認めるまでに至つていない旨の回答がなされているが、これをもつてしても、原告の訴外山本のスケジユール調整による公演取消し分について損害填補を合意したものと認めるに足りない。

甲第二六号証、証人大野佶夫及び証人井上章夫の各証言には、原告の前記主張に添う部分があるが、証人杉本謙介の証言、乙第三号証に徴して採用できない。

四  よつて、原告の被告に対する請求は理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原田卓)

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